足利成氏文書
- 所在地
- 新 橋2‐15‐5
- 所有者
- 宗教法人烏森神社
- 概要
- 1通 古文書 昭和59.10.15指定
- 法量
- 縦34.5cm 横43.5cm
- 公開状況
- 非公開
享徳4年(1455)1月5日に鎌倉公方足利成氏より発給された御教書です。宛名を欠いていますが、文化・文政年間(1804-30)に江戸幕府の命によって作られた武蔵国内の古文書集『武州文書』に烏森神社所蔵文書としてみえ、今日に伝わります。
足利尊氏の次子基氏が南北朝時代に鎌倉公方として東国へ派遣されて以来、足利氏は代々その任にあたりました。成氏は基氏から数えて五代目にあたり、永享6年(1434)に生まれ、宝徳元年(1449)に推されて鎌倉公方となり、明応6年(1497)に没しました。管領の上杉氏をはじめ、長尾、太田などの有力家と争い、享徳3年(1454)12月27日には管領上杉憲忠を鎌倉へ誘い謀殺しました。本文書はこれらの戦に軍勢を向かわせる際のもので、所願成就のあかつきには当社の修造を遂げることを約束しています。翌4年1月21日、成氏は、武蔵国分倍河原で長尾景仲、上杉房顕(憲忠の弟)らと戦い勝利を得ます。後に下総国古河城に入り、以後ここに居ることが多かったため古河公方と呼ばれました。
なお烏森神社に残る明治末年の記録によると、本文書の寸法は縦1尺5寸5分とあり、現状より1寸(約3cm)ほど長いことがわかり、文書の左端が若干切断されたと考えられます。