松平不昧・月潭書状
- 所在地
- 南麻布3‐1‐15
- 所有者
- 宗教法人天真寺
- 概要
- 34通 古文書 昭和54.10.23指定
- 公開状況
- 非公開
近世の茶人・名筆家として知られる松平不昧〈ふまい〉の書状25通と、その子月潭〈げったん〉の書状9通です。
出雲松江藩第7代藩主松平治郷〈はるさと〉(=不昧)と天真寺の関係は、明和6年(1769)、19歳で寺の門を叩き、大巓宗碩〈だいてんそうせき〉に参禅したことに端を発し、寛政10年(1798)大巓示寂後もその法嗣〈ほっす〉の東陽宗冕〈そうべん〉と親交を結び晩年に及んでいます。
不昧の書状は、ほぼ当初から晩年までの長年月にわたり、折々に大巓・東陽に宛てられたものであることが、書風の変遷などから推察されます。その内容は、禅に関する事柄が多く述べられており、茶人不昧と禅との関わりを知る貴重な史料といえます。書風はいずれも定家様を踏まえたものですが、次第に筆致に闊達さが加わり、不昧独自の境に至った経過があらわれています。
松平斉恒〈なりつね〉(=月潭)の書状は、いずれも東陽の法嗣の一止宗正宛であり、文化3年(1806)から文政5年(1822)の間のものと推定されます。その書風は同じく定家様ですが、夭折のためもあり、やや穏和で父不昧のようには個性的ではありません。書状の内容はやはり禅と茶に関するものが多いですが、中でも円覚寺の誠拙周樗〈しゅうちょ〉に言及した書状4通が注目されます。不昧と誠拙との交際は茶会記などに見えていますが、後嗣の月潭も誠拙に親灸した様子がうかがわれます。
ともに宛先の天真寺に伝存し、ほとんどが当時の手紙の形式のまま保存されていることは貴重です。