肥前佐賀藩主鍋島家墓所
- 所在地
- 元麻布1‐2‐12
- 所有者
- 宗教法人賢崇寺 鍋島家
- 概要
- 史跡 昭和62.10.28指定
- 公開状況
- 非公開
鍋島家の江戸における菩提寺である興国山賢崇寺(曹洞宗)は、初代藩主勝茂が、寛永12年(1635)に23歳で天然痘によって没した嫡男忠直の菩提のため建立した寺院です。当時江戸府内では、新寺の創立が禁じられていたため、豪士仙波氏の菩提寺であった高輪正重寺を買収して現在地に移し、山号寺号は忠直の戒名「興國院殿敬英賢崇大居士」から採って名付けました。
鍋島家墓所は、現本堂裏手に約1,100平方メートルの範囲に画然とした墓域を形成しており、開基忠直・初代勝茂・九代斉直・初代小城藩主元茂(忠直兄)とその夫人達など、五輪塔に統一された一族の墓31基が並んでいます。
鍋島家墓所は、区内に数多く遺されている大名家の墓所の中でも、原状を最もよく残したものであり、当時の葬制を知るうえでもきわめて貴重です。
なお、田安家から七代藩主重茂に嫁した淑姫(田安家初代宗武女)の墓石は、戦災により原形を留めていませんが、独立したその墓域は、他の墓より一段高く石垣を築いた上に墓石を乗せ、さらにその前面に広い拝所を設けるなど明らかに他とは厳然たる格差が見られます。幕府の血縁者に対する外様大名の政治的配慮が感じられるものです。鍋島家墓所には一族の墓以外に、勝茂の死に際し殉死した重臣達の板石状の墓30基が整然と並んでいます。これらもまた江戸初期の武士の遺風を知るうえで貴重です。