琴棋書画図屏風
- 所在地
- 芝公園4‐9‐8
- 所有者
- 宗教法人妙定院
- 概要
- 六曲一双 絵画 昭和61.10.20指定
- 法量
- 左・右隻とも 縦158.9cm 横349.4cm
- 公開状況
- 非公開
- 写真タイトル
- 左隻(左) 右隻(右)
古来、中国では、琴、棋、書、画の四芸を士大夫・教養人の嗜〈たしな〉みとして尊重しました。わが国でも、ことに漢詩文学に傾倒し隠逸〈いんいつ〉を愛した五山僧の間にこれを倣〈なら〉おうとするところが多く、絵画に表わされたのは、少なくとも室町時代初期にまで遡ることができます。以後、公武の愛好も得て琴棋書画〈きんきしょが〉図は、唐人物を描く際の絶好の画題として、江戸時代に至るまで長く制作され続けました。
本図は、六曲一双の金地画面の左隻に「琴」を奏で、笛を吹き、舞を楽しむ高士たちと書斎にしつらえられた衝立の「画」と机上の「書」(冊子)などを配し、右隻には、「棋」に興じ、童子に「書」を読み習わせる高士や、室内に掛けられた「画」(瀧山水図)を見ながら何やら語り合う童子のさまを、濃彩を用いてあらわしています。
筆者の狩野探雪(1655-1714)は、幼名を観千代、通称を主殿、名を守定、ほかに松岳、孟隣斎とも称しました。室町後期以来の伝統を持つ狩野派の絵画に様式的再編成を計り、徳川幕府の御用絵師として活躍した狩野探幽(1602-74)の二男です。探雪もまた多くの幕府の絵師としての仕事を行い、宝永6年(1709)には、遷幸新造内裡の障壁画を描き、また、天和2年(1682)および正徳元年(1711)の二度にわたって、来日中の李氏朝鮮使節に贈る屏風を制作しています。
探雪の画は、おしなべて父探幽の画風を忠実に祖述したもので、江戸初期における武家好みの狩野派様式をよく留めています。右隻に「探雪筆」の款記を見出せるのも貴重です。