長沢芦雪筆人物図
- 所在地
- 芝大門1‐12‐7
- 所有者
- 宗教法人芝大神宮
- 概要
- 二曲一隻 絵画 昭和56.10.24指定
- 法量
- 縦173.5cm 横184.0cm
- 公開状況
- 非公開
いわゆる「高士観画」の態をあらわす二曲一隻の屏風です。老高士は、あご鬚〈ひげ〉を長くのばし、頭巾をかぶった姿で、ゆったりと岩にもたれかかり、二童子のかかげる布袋図の一軸をながめています。その傍らには、あどけない二人の童子が侍し、ひとりは花瓶を持ち、ひとりは跪〈ひざまず〉いて控えています。
図中には、「蘆雪写」の款記(署名)と「魚」の朱文亀甲型印があり、図の筆者が長沢芦雪〈ろせつ〉(1754-99)であることを明らかにしています。
芦雪は、名を魚または政勝といい、字を氷計、引裾と称しました。京都の画家円山応挙(1733-95)に学び、早くからその画才を認められ、天明2年(1782)刊行の『平安人物誌』には、「長澤 字 〈空欄(原典ママ)〉御幸町御池下ル町 長沢〈(ママ)〉芦雪」とあり、応挙らとともにその名を連ねています。30代半ば頃から、師の多忙な作画活動を助け、諸寺院や豪商たちのために襖絵の制作を盛んに行いますが、中でも天明6年から同7年にかけて順次制作された南紀の無量寺、草堂寺、成就寺などの障壁画は、重要文化財に指定されています。
図の描写形式は、流暢で柔潤な筆致を駆使し、濃淡の墨調を生かしつつ、諸人物、岩石、地を這う潅木などを活写してゆくというもので、人物の顔には淡い朱、高士の頭巾や童子たちの着物の袖口には青墨系の墨彩色を施しています。簡潔な筆致で対象を捉えながらも、筆速や筆触の変化を利用し、画面に対する装飾化も計られています。図中の落款形式、ことに印影により寛政4年(1792)5月以降と判断できます。また、図の画風やその款記の書体も、青年期の作品である無量寺や草堂寺などのそれとは異なり、むしろ、晩年期にあたる寛政7年の制作とされる兵庫県・大乗寺の襖絵の描法に近いものです。図中にみられる画題の穏やかさや図様構成の形式的なまとまりも、本図が芦雪晩年にあたる寛政期に成ったものであることを示しているといえます。