勝海舟書画巻
- 所在地
- 白金台4-6-2
- 所有者
- 港区教育委員会
- 概要
- 1巻 書跡 平成19.10.23指定
- 法量
- (各)縦24.3cm 横33.7cm(徳富蘇峰奥書)各 縦31.5cm 横42.0cm
港区にゆかりの深い勝海舟の直筆の書画であり、江戸城明け渡しのための談判という日本の歴史の中でも重要な場面を描いた図が含まれています。
赤坂に長く住んだ勝海舟は、明治維新の動向に深く関わった幕臣で、明治政府にも任官しましたが、その生涯中、危機に瀕した四場面を、3枚の水墨略画に自ら描いて残しました。
1枚目は、長崎での洋式海軍伝習を終え、安政6年(1859)、幕府軍艦を江戸へ回航する途中、暴風に際会して遭難に瀕した場面です。
2枚目の1は、慶応4年(1868)2月5日から15日、脱走兵が住居近隣を襲った状況を、その2は同年5月、彰義隊残兵に侵入され発砲を受けた様子を描いています。
3枚目は日本史中の一頂点で、官軍参謀西郷隆盛と、江戸市街市民と徳川氏を戦火から救う談判に当たったときの図です。ただしこれは海岸の街道沿いに薩摩の兵隊が描かれている様子から、その第一日、慶応4年3月13日高輪薩邸下屋敷の光景と思われますが、図中に海舟は14日と記してあります(3月14日の場所は芝・薩摩藩抱屋敷)。
図には勝邸内に起居した文人徳富蘇峰の4枚からなる奥書を付し、海舟『断腸之記』に一致する場面であることを記しています。