黒田清輝墓誌及び副葬品
- 所在地
- 白金台4-6-2
- 所有者
- 港区教育委員会
- 概要
- 一括 歴史資料 平成3.10.9指定
- 法量
- (墓誌)縦33.3cm 横25.5cm 厚2.5cm
- 写真タイトル
- 墓誌(左)副葬品(右)
西麻布永平寺別院長谷寺〈ちょうこくじ〉にある黒田清輝の墓が、昭和62年(1987)10月に改葬された際に出土した、石製墓誌と副葬品です。
清輝の遺体は、養父母と同じ麻布長谷寺に埋葬されていました。神式によって葬られた清輝の墓は、石組みの円筒の上にドーム型のマウンドを載せた地上施設と、金属板で完全に包み込んだ木棺を、さらに木郭に納める三重の構造を持つ地下施設からなっており、清輝の生前の社会的な地位と、黒田家の家格の高さを示しています。
墓からは、眼鏡とそのケース、パイプ、煙草入れといった、本人の生前の愛用品が、石製墓誌とともに出土しました。これらの愛用品は、清輝の人となりを直接的に示しているだけではなく、当時の、いわゆる文化人の生活様式の一端を知るうえで貴重な歴史資料です。
また、石製墓誌には清輝の業績が、当時の美術学校長正木直彦の撰文・筆により、簡潔にして適確に刻まれています。近代以降の墓から、こうした石製墓誌が出土した例は多くはありません。日本では生前の業績などを、墓誌に代えて「顕彰碑」として墓石に並べて建立することが一般的であるだけに、埋葬法の本来の姿を伝える清輝の石製墓誌は、葬制・墓制史上、貴重な資料です。