日本近代初等教育発祥の地(小学第一校・源流院跡)
- 所在地
- 芝公園1‐1
- 所有者
- 東京都(管理者)
- 概要
- 旧跡 平成2.10.24指定
江戸が東京と改称されたばかりの慶応4年(1868)7月、新政府は教育の重要性に着目して、東京府に対し「算筆稽古所」を起こし、教導の者を選び読書算の初歩を教えるように指示を出します。「其府ニ於テ小学教育之道施行可致候事」といい、町役人の配慮を求め、経費支弁を保証して、翌明治2年(1869)2月には『府県施政順序』を制定して「小学校ヲ設ル事」を府県の施政の大綱の一つに掲げました。
翌月には、東京府は中小学校取調掛設置を命じられ、12月小学教育施行について調査を行いました。翌3年3月、源流院以下6か所の寺院をあてることとし、6月8日多少の修正を経て小学開設の布達に至ります。源流院は江戸初期からの増上寺子院で、境内北辺の御成門東側(現芝公園1丁目1番)にあり、小学第一校はこの源流院内に創設されました。
明治4年7月文部省設置で中小学校はその直轄となります。12月23日付直轄校開校布達の冒頭に、芝増上寺内源流院小学第一校があって、授業料月二分、科目は書算筆三科、稽古毎日五時間、男子生徒8歳から15歳、女子生徒8歳から12歳との旨が記載されています。
翌5年学制発布にともない、一年を経ずして11月小学第一校は「第二中学区第一番小学」として府管轄に戻り、校地も西久保町に移りました。明治6年4月12日「第一大学区東京府管下第二中学区官立学校一番小学鞆絵〈ともえ〉学校」となり(町名の巴を嘉字に変えた)、その後校名は「鞆絵尋常高等小学校」、「鞆絵国民学校」、「鞆絵小学校」などと変遷しました。
※平成3年港区立鞆絵小学校は、桜小学校・桜田小学校と統合し、御成門小学校が開校しました(平成6年に桜川小学校、平成7年に神明小学校も統合)。