石製胞衣容器蓋丹波篠山藩青山家中屋敷跡出土
- 所在地
- 白金台4-6-2
- 所有者
- 港区教育委員会
- 概要
- 3点 歴史資料 平成18.10.24指定
- 法量
- (天保10年銘)径33.8cm 厚5.8cm(天保11年銘)径32.8cm 厚6.2cm(弘化4年銘)径33.5cm 厚6.9cm
- 写真タイトル
- 天保10年銘 下野黒羽藩十四代藩主大関増徳
本資料は、港区立青山中学校に保管(現在は港郷土資料館保管)されていた石製の胞衣〈えな〉容器の蓋です。出土の経緯は未詳ですが、裏面の銘文によれば、江戸時代この地にあった丹波篠山藩青山家(6万石)の中屋敷内に埋められていた、天保10年(1839)・同11年・弘化4年(1847)に生まれた13代藩主忠良の子どもの胞衣容器であることがわかります。そのうち天保10年に誕生した五男は、のちに下野黒羽藩大関増昭の養子に入り、十四代藩主となった増徳です。これらは胞衣桶の外容器の蓋であったと推定されます。
こうした個人名がわかる大名家の胞衣容器の出土例は極めて少なく、石製の外容器も他に例を見ないことから、本資料は大名家の産育習俗の歴史を知る上で貴重です。