元禄七年銘納経石塔
- 所在地
- 芝公園2‐12‐19
- 所有者
- 宗教法人通元院
- 概要
- 1基 歴史資料 平成12.10.24指定
- 法量
- 高127.0cm 幅50.5cm 奥行25.0cm
この石塔は、前面右側に観音菩薩、左側に不動明王の二尊を浮彫りにしたものです。この時期の石造物としては比較的大きく、観音菩薩・不動明王の二尊像は、ほとんど風化せずによく残っています。背面にはこの石塔の由来を示す136文字の銘文が刻まれています。それによると、大蔵経(『三大蔵経』)を納める経蔵の蔵司の居処が元禄6年(1693)に増上寺三十二世貞誉了也上人によって定められ、その場所を護るために、蔵司の発願で翌年この石塔を造立したことがわかります。
通元院は、増上寺御霊屋別当寺院8院のうちの一つで、六代将軍家宣の父、甲府宰相綱重(1644-78、法名清揚院)の御霊屋の別当職寺院として宝永2年(1705)に開かれました。綱重は延宝6年(1678)に逝去し、はじめ小石川伝通院に埋葬されましたが、宝永2年6月22日に桂昌院が逝去し増上寺に埋葬された後に、綱重も増上寺に埋葬することが決定され、同年10月5日に増上寺に改葬されました。通元院の当時の場所は、現在の東京タワーの南西側にあたり、綱重の御霊屋に程近く、境内は1,750坪を有し、金沢藩前田家の宿坊でした。維新後、将監橋北詰の現在地に移転したもので、本石塔とは直接の関係はないと考えられます。