魚籃観世音霊験記等版木
繁昌祠堂の盛行は、近世江戸の一特色で、その参詣の意義を強調し勧奨するために、縁起等の印刷物が配られました。魚籃寺でも『魚籃観世音菩薩略縁起』『魚籃観世音霊験記』を中心とする版木が作られ、これによって自家で印刷・頒布されました。
『魚籃観世音菩薩略縁起』は、安永3年(1774)春に魚籃寺住持沙門善秀によって著述されたもので、中国唐代の魚籃観世音示現の状況から、現在地に移転するまでのことが記されています。
『魚籃観世音霊験記』は、成立年代は未詳ですが、本文中にみえる最終年号から寛政元年(1789)以後の版であると考えられます。その大要は、寛文2年(1662)に什宝である剣難身代わりの霊像の逸話に始まり、寛政元年の上総桜井村からの献額にいたる合計15の霊験譚によって構成されています。
その霊験の体験者は大名をはじめとする武士、農民、商人、遊女にいたる各階層に及んでいます。また、その功徳も各種の病気、失跡、出産など多様です。
また、版木には霊験譚の他に、名号、御詠歌、絵姿などの宗教活動用に直結するものだけでなく、頒布薬の包み紙など関連事業のあったことや、罫紙など日常所要の用紙を印刷したことなどが知られるものもあります。江戸における信仰の成立・発展の状況を知るうえで大変貴重な資料であるとともに、近世江戸の印刷法を伝える資料としても意義深いものです。