絹本着色普照国師(隠元隆き)像 土佐光起筆 高泉性とん賛
- 所在地
- 高輪2‐11‐1
- 所有者
- 宗教法人泉岳寺
- 概要
- 1幅 絵画 平成10.10.8指定
- 法量
- 縦71.9cm 横27.8cm
- 公開状況
- 非公開
- 写真タイトル
- 普照国師(隠元隆き)像
江戸時代中期に土佐派を再興し、宮廷の絵所預〈えどころあずかり〉を務めた土佐光起〈とさみつおき〉の筆になる数少ない黄檗〈おうばく〉肖像画の作例として美術史上貴重な作品です。
この肖像画の像主、隠元隆き〈いんげんりゅうき〉(1592-1673)は、承応3年(1654)に渡来した中国僧で、禅宗の一派である黄檗宗を日本に伝えたことで知られます。長崎をはじめ各地の寺院に住した後、寛文元年(1661)に将軍家綱から土地を与えられ京都・宇治に開いた萬福寺は、明代中国の禅寺形式を色濃く伝える黄檗宗の本格的な道場としての性格を備える寺として建てられ、今日に続いています。また、「大光普照国師〈ふしょうこくし〉」の号は、寛文13年(1673)4月2日、すなわち隠元示寂の一日前に、後水尾上皇より贈られた勅賜号です。
讃を記した高泉(1633-95)は、隠元と同じく中国福建省出身の黄檗僧で、寛文元年に隠元70歳の壽賀のため渡来し、以後師に近侍しました。高泉は元禄5年(1692)1月21日、萬福寺五世になったとされます。
他にも光起は、「独照性円像」(東京国立博物館蔵)のような黄檗僧の肖像画を描いているので、この方面の肖像画にも筆を執ったものと思われます。その意味からも本図は、宮中の絵所預を務めた大和絵師として認識される、土佐光起の画家としての多様な活動の一面を窺わせる貴重な遺品といえます。
※「隠元隆き」の「き」は、王へんに奇
※「高泉性とん」の「とん」は、さんずいに敦