清正公堂及び山門
覚林〈かくりん〉寺は弘化2年(1845)の大火で全焼し、山門は安政3年(1856)、清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたものです。
清正公堂は拝殿〈はいでん〉・幣殿〈へいでん〉・本殿からなる権現造〈ごんげんづくり〉形式です。拝殿は間口3間奥行3間、幣殿は間口一間奥行3間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗〈と〉に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。
清正公堂は権現造の本殿部分を土蔵造とする近世の建物構成を継承した建物で、拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術の到達点を今に伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内において最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝え、ともに貴重な建物です。