永井荷風旧居「偏奇館」跡
- 所在地
- 六本木1‐6
- 所有者
- 港区
- 概要
- 旧跡 平成16.10.26指定
永井荷風は、大正8年(1919)、満40歳で麻布区市兵衛町1丁目6番地の約300平方メートルのこの地を借りました。敷地には買い取った古い洋館が建っていましたが、翌年洋風の木造瓦葺二階建の住居を新築し「偏奇館〈へんきかん〉」と名付けます。建坪37坪2合5勺(約123平方メートル)でした。
「偏奇館」の名称は木造洋館のペンキ塗装にちなみ、また、自ら偏執の気質を認めて命名したと察せられます。昭和20年(1945)の東京大空襲によって焼失するまでの25年間、生涯でもっとも長く定住し、『ぼく東綺譚〈ぼくとうきたん〉』ほか多くの名作を書いた場所です。
土地は後に買得し、昭和23年に売却しました。眺望を好まれた崖上の地は市街地再開発によって削り取られ、旧観を残していませんが、日本近代文学の代表的作家の一人である永井荷風が多くの作品を著した住居の跡として重要な場所です。
※「ぼく東綺譚」の「ぼく」は「さんずいに墨」