五百羅漢図(絹本着色)
- 所在地
- 芝公園4‐7‐35
- 所有者
- 宗教法人増上寺
- 概要
- 100幅 絵画 昭和54.10.23指定
- 法量
- (各)縦172.3cm 横85.8cm
- 公開状況
- 非公開
- 写真タイトル
- 第50幅 十二頭陀・露地堂坐
「名相」から「四洲」にいたる諸相を39の主題場面に分け、各図にほぼ5人ずつの羅漢を配し、合計100幅によって構成される五百羅漢図です。
人間の持つ煩悩、心の中にある様々な煩悩の消滅、克服の種々相があらわされています。精緻を極めた描法によって、リアリティや臨場感を与え、羅漢画一般に共通する怪異性も備わっています。画風は、狩野派、四条派などの手法を主として受け継いでいますが、光線の巧みな効果をねらった洋風の陰影画法の影響もみられ、特徴ある画面を創り上げています。また、図にみる反古典的な奇怪さやその力動性に富む画面構成などは、葛飾北斎、歌川国芳らといった江戸時代末期の浮世絵師たちの持つ表現感覚にも通ずるところがあり、本図がそれらと共通の芸術的、時代的な基盤を共有することがわかります。
この図は、源興院十世の法誉了宝上人の命(法誉の没後は弟子の慎誉が受け継ぐ)によって制作されたもので、嘉永7年(1854)から文久3年(1863)までの10年間を費やしたといいます。筆者の狩野一信(1816-1863)は、増上寺内の源興院過去帳ほかによれば、本姓逸見、通称豊次郎、顕幽斎と号し、狩野素川章信に学び(一説に伊川院栄信に師事)、のち、表絵師十五家のうちの深川水場〈みずば〉狩野家を継ぎ梅笑一信と称したといいます。特に仏画によって世に知られ、成田山不動堂の壁画および天井画を描いて法橋に叙せられ、更に法眼の位にのぼりました。一信は図の制作にあたって、鎌倉の光明寺をはじめ建長・円覚ほか諸寺に残る羅漢図の優品を拝観し、研究を重ねましたが、100幅の図の全てを完成することなく文久3年9月に没したので、残りの図(『過去帳』では4幅という)については一信が遺した下画をもとに妻妙安および門人たちが補作したと伝えています。本図には、「法眼一信画」の署名(10幅に1宛)と「法眼」の白文方印、「一信」の朱文方印一顆がそれぞれ捺されており、法眼叙位以後の制作だとわかります。図の開眼供養は、元治元年(1864)3月13日増上寺本堂において行われました。
本図はその作柄も優れ、また、狩野派諸家があらゆる意味で新たな機軸を打ち出すことに迫られていた時期における特異な作品として資料的にも貴重です。