毘沙門天像(木造)
- 所在地
- 南麻布4‐2‐35
- 所有者
- 宗教法人天現寺
- 概要
- 1躯 彫刻 昭和54.10.23指定
- 法量
- 像高103.5cm 頂~頸20.0cm 髪際~頸12.8cm 面巾(兜も含む)15.0cm 面奥16.3cm 胸奥16.6cm 肘張35.6cm 腹張16.3cm 裾張29.2cm 足先開27.8cm 邪鬼高13.1cm
- 公開状況
- 非公開
南麻布の天現寺は、山号・多聞山〈たもんざん〉が示すように、本堂の本尊として毘沙門天〈びしゃもんてん〉像(=多聞天)を祀ることで江戸時代以来すでに広く知られていました。
この毘沙門天像は、同寺本堂内陣中央の須弥壇〈しゅみだん〉上に安置された厨子に秘仏としておさめられる木造の立像で、区内では珍しい平安時代後期(11世紀末から12世紀初)に制作された、ケヤキ材一木より彫成された仏像です。控えめな動き、すんなりと均整のとれた体容、柔らかく比較的浅い衣部の彫法、忿怒〈ふんぬ〉形をとりながらも穏和にまとめられた顔の表情など、平安時代後期の彫刻様式を伝えており、また表現が華美にならず、形式化していないのびやかな古様さも残しています。
この像の縁起由来については、天現寺に遺る林信充(1681-1758)の『武州豊島群城南麻布邑多聞山天現寺毘沙門天王縁起』(摸本)1巻がそのおおよそを記しています。それによれば、像は、樟〈くすのき〉の丸木〈まるき〉造りで、聖徳太子の作といい、また、かつて多田満仲〈ただみつなか〉の念持物であったとも伝えられ、その故をもって、のち源氏累代の守護神として尊崇されたと語られます。降〈くだ〉って徳川家康の生母お大の方(伝通院殿〈でんぢういんでん〉)もこれを篤く信じたと伝えますが、更に幾人かの手を経たのち渋谷祥雲寺の怡渓宗悦のもとに託され、怡渓の法嗣良堂宗温(天現寺開山)によって天現寺内の一堂に安置されるに至ったといいます。