広尾の庚申塔
- 所在地
- 南麻布4‐5‐61
- 所有者
- 宗教法人広尾稲荷神社
- 概要
- 3基(付水鉢) 歴史資料 昭和55.11.15指定
庚申信仰は、庚申の夜に人の体内に住む三尸虫が、眠っている間に体内を抜け出して、天帝にその人の罪科を報告して生命を縮めるといわれているため、眠らずに一夜を明かすもので、講の形をとって地域住民の交際の場となっていました。庚申塔は庚申信仰を具象的に表現する塔で、室町時代後期以降盛んに各地に建てられました。
広尾稲荷神社の本殿裏手の道路に面したところにある3基の庚申塔は、方形角柱の笠塔婆型で、塔身が太く、堂々としています。社伝では広尾稲荷神社の別当寺であった千蔵寺の住持祐道の代に、講の人々の浄財を得て建てられたといわれ、3基のうち、中央には元禄3年(1690)、左には元禄9年の年号があり、右は摩滅のため年代不詳ですが、状況から左の2基よりも古い可能性があります。庚申信仰が全国的に盛行している時代の産物であり、この地域も例外ではなかったことがわかります。
庚申信仰の実態は、この地域ではすでにほとんど失われ、過去の組織の状況を伝えるものも全くありませんが、さまざまな要素を合成しながら、神道、仏教などと異なり、政策的な指導援助等もないまま、自主的な民間信仰として、庶民の間に行われてきたものであり、都心化したこの地域での、かつての信仰のあり方を想起させる遺物として、塔は貴重な存在となっています。
現在は広尾稲荷神社の境内管理下にあってよく保存されています。