会津松平家由来 常香盤(香盤時計)
- 所在地
- 三田4-12-15
- 所有者
- 宗教法人実相寺
- 概要
- 1点 歴史資料 平成21.10.27指定
- 公開状況
- 非公開
「常香盤」は、香を長時間焚くための仏具でしたが、時を知るためにも用いられました。灰に直線を折り曲げた規則正しい幾何模様の凹型を型押しし、抹香を詰め、その一端に火をつけて使用しました。途中に等間隔で香りの異なる香を乗せ、時間によって香りを変化させることで時間の経過を知ることもできることから、「香盤時計」や「時香炉」ともいわれています。
江戸の町では、寛永3年(1626)に辻源七が幕令を受けて日本橋で「時の鐘」の管理を開始しましたが、元文3年(1738)の記録には、その必要経費として「常香」があげられており、正確な時を知らせるために機械時計である「台時計」とともに「常香盤」も用いられていた可能性があります。
実相寺は、会津藩祖保科正之(のち松平姓)が江戸の菩提寺として定めた寺院で、2代藩主正経の生母聖光院ほか歴代の藩主夫人や子女の墓十数基があります。本常香盤は、こうした方々の供養のため、会津松平家を施主として実相寺に納められ、位牌堂で用いられたものと考えられます。
幕閣の中枢を勤め、歴史的にも大きな足跡を残した会津松平家に関わる資料として貴重であるばかりではなく、大名家の宗教儀礼を伝える資料としても重要な遺品です。