明和の大火死者供養墓
- 所在地
- 虎ノ門3‐25‐1
- 所有者
- 宗教法人光明寺
- 概要
- 旧跡 平成22.10.27指定
明和9年(1772)2月29日の午後、目黒行人坂の大円寺より出火、西南の風が強く、火は麻布・芝から江戸城郭内・京橋・日本橋・神田・本郷・下谷・浅草などに延焼、千住まで達して翌晦日の午後にようやく鎮火しました。いわゆる「目黒行人坂火事」で、明暦3年(1657)1月18日の「振袖火事」以来の江戸の大火であったといわれています。この火事で類焼した大名屋敷は169、町数は934、橋は170、寺は382にのぼったと記録にあります。死者は1万4700人、ほかに行方不明者も4000人を超えています。
光明寺の過去帳によれば、境内の山の上に避難した男女90人が焼死し、寺の本堂・勝手・諸堂も残らず焼失したとあります。この供養墓は、この惨事に心を痛めた当寺の住職が、焼死者の供養のために建立したものです。のちに墓は山の上から現在地に移されましたが、火災による惨事を現在まで記憶にとどめるものとして貴重です。