山本家文書
本文書群は、幕府御家人山本家に伝来したもので、安政5年(1858)から明治30年(1897)の15点(附3点)からなります※。同家は、家督相続を許される三河譜代の黒鍬之者を数代にわたって勤めたのち、御留守居同心や同組頭も勤めました。こうした家の由緒書などとともに注目されるのが、同家が経営した寺子屋・学校関係の文書です。安政2年(1855)3月に、山本粂八が開いていた御家流筆学所を孫の遥秀が寺子屋「歳泉堂」として再興、明治8年(1875)1月には学制下の私立小学校「山本学校」として認可を受けます。さらに同26年(1893)9月には代用小学校に採用され、丹後町尋常小学校となったのち、同30年(1897)11月に廃校となりました。本文書群には、こうした学校の沿革をまとめた史料や、提出書類、間取り図などが含まれています。
御家人の文書は稀少であり、さらに地域における近代教育の展開を具体的にうかがえるという点から、貴重な文書群ということができます。
※附関連資料を含めると昭和61年まで。