曲直瀬家文書
曲直瀬家文書は、初代曲直瀬道三(1507~1594)を始めとする曲直瀬(今大路)家に伝来する文書です。106点のうち、105点が巻子、1点が折本です。内容は、朝廷や幕府が曲直瀬家に対して発給した文書、初代~五代道三の自筆本・書状、曲直瀬家の人物が作成した詩文類、曲直瀬家の門人関係文書、処方した薬の記録、各種証文、曲直瀬家の家譜、曲直瀬家の人物宛の書状など、中世から幕末にいたるまで多岐に渡ります。
曲直瀬家は、天正2(1574)年に正親町天皇に召される一方、徳川家康のもとで仕えたことを契機に幕府の医師となった家で、典薬頭の官職を世襲する名門でした。家長は代々「道三」を名乗り、初代道三は医学書である『啓迪集』などを著述、正親町天皇を診療しました。また、足利義輝(室町幕府十三代将軍)や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らと交流を持つなど、文化人としても一流の人物でした。三代目道三は、後陽成天皇から今大路の家号を賜り、以後は今大路氏を名乗って徳川家に仕えました。
朝廷からの口宣案をはじめ、羽柴(のちの豊臣)秀吉や毛利輝元、前田玄以(豊臣政権五奉行)らの文書も含まれており、時の権力者たちと交流を持ち、代々江戸幕府で重きをなした曲直瀬家の古文書は、医学関係の記録に留まらない多くの情報が記されています。港区に所在する文化財として大変貴重であり、指定にふさわしい古文書です。