飯倉町沽券図
- 所在地
- 白金台4-6-2
- 所有者
- 港区教育委員会
- 概要
- 1点 古文書 令和5年10月12日指定
- 公開状況
- 非公開
沽券図は町屋敷ごとに間口・奥行・坪数・町屋敷の金額(沽券金)・地主名・家守名を記した絵図です。17世紀以降、江戸の町々では町屋敷の売買が活発化したことから、幕府は江戸市中の沽券金の把握のため、宝永7(1710)年と寛保3(1743)年に、町奉行より町名主に沽券図の提出を命じました。
本図は、寛保3年の命令を受けて、翌年の延享元(1744)年3月に作成された飯倉町の沽券図です。縦248.8cm、横305.8cm。西側を上にして、飯倉町のうち北側の一、二、三、六丁目、現在の麻布台一丁目と二丁目辺りが描かれています。地主・家守や名主などの印鑑が押されていないことから、写もしくは控と考えられますが、記述内容は当時のものです。書き上げられた屋敷の数は84筆にのぼり、地主の中には飯倉町名主や町医(若松玄得ほか)、大名が抱えた画師(川越藩秋元家画師・津田休世ほか)などの名もあります。
江戸には約1700の町が存在しましたが、現存する沽券図は70点程度で、そのうち約50点は江戸中心部の日本橋・京橋のものです。本図は江戸時代中期の飯倉町について、敷地割や地価などの社会状況をはじめとした町の情報を現在に伝える貴重な資料です。