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港区文化財総合目録

増上寺徳川将軍墓 礫石経

所在地
芝公園4-7-35
所有者
宗教法人増上寺
概要
40,331点 考古資料 令和6年10月17日指定

本資料は増上寺の徳川将軍墓から出土した礫石経です。これらは、第二次世界大戦の空襲で多くを焼失した霊廟の改葬に伴い、昭和33~35(1958~60)年に発掘調査が行われた際、発見されたものです。9代家重(惇信院)・12代家慶(慎徳院)・14代家茂(昭徳院)、それぞれの棺を納める石室とその外側の石槨の間の上部に施された溝状の空間に納められていました。発掘調査報告書には9代家重の墓からは12,674点、14代家茂の墓からは約650点出土したとの記載がありますが、12代家慶の墓からの出土点数の記載がなく、実際に出土した総数は不明です。縦・横2cm、厚さ1cmほどの白色もしくは半透明の方解石製で、赤く朱が付着したものもあります。平面に1文字、または数文字が墨書され、片面だけでなく両面に墨書されたものもあります。記された文字は浄土宗の根本経典である浄土三部経(阿弥陀経・無量寿経・観無量寿経)の文字と一致しています。
『徳川実紀』には、日光大黒山に埋葬された3代家光は小石に法華経を、上野寛永寺に埋葬された4代家綱は水精(水晶)に1文字の経を記して墓所に納めたとあるものの、どちらも未調査で実物を確認できていません。9代家重・12代家慶・14代家茂の墓から実際に出土したこれらの礫石経からは、徳川将軍家の葬送文化の一端を知ることができます。空襲による焼失を免れた門や燈籠等と同じく、今は失われてしまった徳川将軍家の墓所を構成するものであり、文献資料の記述も少ない徳川将軍家の葬送文化の実態を知ることができる貴重な考古資料です。

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